暮らしっく不動産の徳留です。

今日は、日雇い労働者時代の話でも書こうかと思います。
普通に書いても面白くないので、ちょっと小説風にしてみます。

日雇い労働と初現場

ぼくは紆余曲折あって、サラリーマンを辞めた後に三年ほど日雇い労働者をしていた。
ネットで見つけた募集要項には"単純作業、誰でもできる、軽作業、日払い、直行直帰、高収入"の文字が並ぶ。
あまりにも単純な頭をしていたぼくは、 迷わずに応募、即採用という流れで数日のうちに工事現場で働くことになった。
会社といっても、品川にある薄暗い雑居ビルのワンフロアの一部を間借りした小さなオフィスで担当は三人ほど。
皆一様にテンションが高かった。今思えば、日雇い労働という過酷な仕事を感じさせないための演出だったのかもしれない。もしくはお金になる人材が増えたと思われたのかもしれない。
面接は履歴書もいらず、血液型であるとか緊急連絡先であるとか給料の振込み先であるとかそういった簡単なものと志望動機を指定の書類に書いて10分ほどで終了。
"元気な人が多いですから、明るく働いてください。"と担当に言われ、最初の現場は新潟にある芸術劇場の新築工事現場ということが決まった。
後日東京駅に集合した数人のメンバー。ボロボロのスポーツバッグに靴が泥に汚れたおじさんや、若いながらも短期間でがっつり稼ぎたいという青年etcそんな人たちの集まりだった。
「あっ、これ、向こうでのしばらくの生活代ね。」
そういって担当は4万円ほどを僕ら一人一人に手渡した。
「この分は後で給料からひいておくのでよろしく。あと、何かあったら連絡してくれ。」
そういって仕事道具の工事道具を渡すと担当はさっさといなくなった。
"このご時世に給料前払いで道具も支給。。。何か嫌な予感がする。。。"
ぼくの不安は増すばかりだった。
悪くいえば、どう考えても一般社会生活からこぼれ落ちてしまったメンバー(自分も含む)達との移動。
会話がはずむわけもなく、不安だけを抱きしめながら、一路新潟へ向かった。

新潟にて

新潟の出張中、宿泊先があてがわれるという話だった。
普通の会社員であればビジネスホテルで個室なのであろうが、さすがは日雇い。僕らの派遣先の工事会社が借り上げた2Kのアパート4部屋のうちの1つだった。
しかも洗濯機は2部屋にしかなく、時間差で4人ずつ洗うというルールだった。汗まみれの作業着を共同で洗うという現実。贅沢をいっていられない環境。これが現実であった。
部屋も全く知らない人たちと1部屋に2人ずつ寝ることになっていた。
"こいつと同室は嫌だなぁ"と心の底で唱えていると、本当に彼と同室になるもので、言霊というか嫌な勘というのはどこまでも当たるものだ。

雑作業

工事現場には雑作業と呼ばれるものがある。
これは専門職の手元で仕事内容も多岐にわたる。
1tはあろうかという荷物が積まれている台車を何台も移動したり、工事現場で出されるゴミの仕分けであったり、場内の片付け作業であったり、要はどこの専門業者にも属さないけども誰かがやらないと工事が進まない作業をするのが雑作業というわけだ。

資格も経験もいらない。だけどもとにかく人が欲しい。こういう時に単価の安い日雇い労働者は大量に投入される。そして学歴もコミュニケーション能力も過去も問われずお金が欲しい労働者達との需要と供給バランスが噛み合うのでいつまでもこの仕事はなくならない。

深夜

工事現場はどこでも大概、引き渡しまでの日にちがタイトだ。
間に合わなくなれば深夜作業、要は夜勤となる。
雑作業の場合、他の専門業者が夜勤作業になり、彼らが出すゴミが大量だったりすると
"?業者の手元"として人員があてがわれる。この日はじゃんけんで負けてしまった僕達の班がその担当だった。
作り上げた飾りのコンクリート壁を作り直すことになり、壁を深夜にはつる(壊す)のでそのコンクリートガラを外のゴミ捨て場に捨ててくるという作業だった。
真夏の3時に一輪車にのせたコンクリートガラを200m先のゴミ捨て場まで夜中じゅう捨てに行く仕事だ。
道は舗装されておらず、ライトもヘッドライトのみ。
一回にのせる量は25kgほどであろうか。体力の奪われる真夏の作業は地獄であった。

真夏の作業

真夏の作業は過酷だ。新潟だから涼しいだろうと思ったら大間違い。
鉄板からの照り返しの真夏の太陽は容赦なく僕らを疲れさせた。
鉄板の近くは45℃を超えていたと記憶している。
クーラーも当然なく、怪我防止のために着る長袖の作業着や通気性の悪いヘルメットは、それに拍車をかけるのには十分すぎるほどの効果を出してくれた。
その日は室内でグラスウールの加工だった。いっけんすると黄色いスポンジのようだが、廃車になった車のフロントガラスを粉々にしたものが練りこまれたその素材は断熱効果もすごいが、皮膚に触れた時の痒みも相当なものだった。慣れた職人さん達は、痒みも感じないと言っていたが、素人同然のぼくには1日がとても長く感じたのであった。

給料

7日ほど夜勤や日勤を不規則なシフトで繰り返し、手に入れた金額は10万円を少しオーバーしたぐらいだった。
1日の給料になおすと大体日給1万円ほど。東京に帰って来た時の安堵感は相当なものであった。
一週間前に買ったばかりの安全靴の底は深夜のコンクリートガラ運びで底がすりきれ使い物にならなくなっていた。二度とやるもんか。。。その時はそう思ったのだった。


おわりに

日雇い労働者ループ(上)終わり。

普通に解説してもつまらないので、小説テイストで書いてみましたが、いかがでしたでしょうか。
なお、掲載されている写真は新潟の現場の写真ではありませんが、記事内容はぼくが体験した実話です。
不定期ですが、この続きをまた書きたいと思います。

それでは。