「レジデンス・レジスタンス」

2限が終わると同時に、別の教室で授業を受けている玲奈からラインが届く。食堂の席とっといたよ、というトークに、私と麻衣がスタンプで返事を続けた。

教室を出ると、女子だけの集団特有のぼわっとしたなまぬるい空気と、しゃべり声で廊下も階段もいっぱいになった。食堂のある校舎に向かうまでの中庭に、真上から太陽が差していて、ほんの数分で肌が焼けそうだった。

「まだ6月だよ? 暑さおかしくない?」

玲奈はスマホから目線を外し、やっときたーと笑った。

「未空、昨日も同じこと言ったよ」

そうだっけ? と言って席に座るとプラスチックの椅子がひんやりと気持ちよかった。シフォンの花柄の膝上スカートがイスの白さに重なって綺麗に見えた。食堂は白と木目のテーブルとイスがダダダっと奥まで並んでいて、背もたれだけグリーンやスカイブルーに染められていて毎日見ててもカワイイと思う。

「ねぇ、未空がまた同じこと言ったぁー」

来たばかりの麻衣に玲奈がそう言いながら手を振った。

「また暑いとか眠いとかでしょ?」

 

椅子にバッグを置いて言う麻衣に、さすが、正解~、と言った。

「未空と玲奈は何食べんの?」

バッグから財布を出しながら麻衣が言うと、玲奈はスマホと財布を持って立ち上がる。

「どうしよっかなぁ、さっき見たら日替わりパスタだったんだよね。パスタって一番太るじゃん? 迷う~」

玲奈が一番細いじゃん、食え、と私は麻衣と突っ込んだ。

「未空は?」

財布を開けながらうーんと麻衣に返事をする。

「自販機でカップ麺かな」

 

私が言うと、またぁ? とふたりが言う。

「だって好きなんだもん」

「いやいやいやいや、偏食すぎるでしょ未空」

 

麻衣が言うと、それな、と玲奈が言い足した。

「お湯入れて先席戻ってるよ」

私が言うと、じゃあ食堂の箸持ってってあげるね、といつも通り麻衣が言う。玲奈は、一品のおかずだけでも買えばいいのにーと言ってくれた。

自販機でカップヌードルを買い、横に置いてあるポットでお湯を注いだ。カップヌードルだけでなく、春雨ヌードルやアジアンフォーを買う学生のほうが多いのは知っているけれど、腹持ちを考えると断然カップヌードルだった。

食堂の一品のおかずは80円~100円、2日それを我慢すれば、カップヌードル1個がまた食べられる、と脳が瞬時に判断する。

席で3分待っている間にふたりがトレーにご飯をのせて戻ってきた。玲奈はジャージャー麺とわかめスープ、麻衣はカルボナーラパスタとごほうサラダだった。

「なんか今日wifi弱い」

「未空いつも大学のwifi使ってるよね、たまに固まらない?」

「うん、でもスマホが安いやつだからさ」

私は、麻衣にスマホを見せると、見た目じゃわかんない、とスマホを斜めにしながら言った。

「未空スマホ使い過ぎちゃうの?」

そう言う玲奈に、まぁそんな感じ、と笑う。

「麻衣、パスタ飛んでるよ」

「マジか、ミートソースじゃなくてセーフ」

飛ぶよねー飛ぶ飛ぶ、と3人で咀嚼しつづけながらしゃべる。

「あ、今週サークル行かないから明後日カラオケ行かない?」

「玲奈カラオケ好きだねー、でもごめん明後日はデート」

麻衣に、まじかーうらやまー、と玲奈と口をとがらせて見せる。内心、麻衣のおかげで自分だけ断る感じにならなくてよかった、と思った。

「私もごめん、ちょうど明後日バイトなの」

「未空も予定ありかぁ、そっかぁ、じゃあ一人で行こっと」

こういう友達っていいな、と微笑むと、なんでか玲奈と麻衣も気づけば目を合わせて笑った。こんな友達と離れたくない、と強く思った。

4月に、父親と私と大学の職員さんと教授と、勢揃いで面接をした。去年の学費に未納分があること、4月からの学費も納められていないことが家に届いた書面ではじめて分かった。学校側は、学内の奨学金を貸すかどうかの面接をしてくれた。

学校側は他にも家計が切迫している家庭があるので面接の結果で判断する、と言っていた。それなのに父親は、学校がどうにかしてくれると考えていた。面接の場ではじめて知った払えない理由が、兄が2回留年して今年やっと卒業できるためそちらにお金を回したいということだった。なんだそれと思いながらも、私は、学外の国の奨学金に申込みもしたが両親ともに働けること父親の収入が平均であることから不採用になったと訴えた。

大学側が、面接の結果で不採用になった場合、2週間以内に学費を納めなければ退学の手続きとなってしまうと表情を曇らせて説明してくれた。それもすごく残念そうに。父親はそれを聞いてあっさりと、あーそれだとじゃあ退学になってしまいます、と言った。空気が止まった。え、という感じだった。そう言えば奨学金をくれると思ったのだろうか、私の目から見ても情けなかった。何も言わずに曖昧に薄ら笑い状態の私に、大学の人たちは悲しそうな顔をしてくれた。

家計の計画のなさを露呈した面接は不採用となり、母親は怒った。母親は、父親から学校の奨学金が借りられると説明をされていたようだった。ちゃんと危機感を持ってくれれば少し前からパートを増やすなり親戚に頭下げるなりできたのにと怒鳴った。父親は、じゃあどうしろって言うんだ、と怒鳴り返した。兄は留年の皺寄せでなかなか決まらない就職面接で家にいなかった。このマンション売るでもなんでもするわよっ未空の人生かかってんだからっ、と母親が言い放ち、私は、マンションを売る、という言葉に怯んだ。

まだ新しいマンションを一目見て気に入った日を思い出した。兄はまだ浪人をしていなかったし母はパートに出ていなかったし、私は大学に合格したばかりだった。

結局父親はマンションを売る決断をできなかった。母はパートをして私もバイトをめいいっぱいし、親戚からも借りて、期限ギリギリに35万円納めた。なんとかしますと大学に説得し、それでもやっぱり来週までに残り19万円を納めなければ退学になってしまうということだった。

母親には、私のバイト代合わせて間に合うよ、大学にもそう話したよ、と昨日伝えた。普通にバイトをして数日で19万なんて無理だった。でも、疲弊していく親を見るのも、もう嫌だった。

たったひとつ退学を回避する方法が、アダルトビデオだった。これを運命と呼んで神様がいると捉えるのか、悪魔がいると捉えるのか、正直分からない。渋谷でスカウトと称して声をかけてきたのが女性じゃなかったら話を聞かなかったかもしれない。

処女であることを告げると、女性は絶対に痛くさせないから、と私の目をじっと見て言った。私はいつまでも処女なのだろうかと考えていた矢先でもあった。事情を話すと20万支払うと提示してくれた。上限よりも安かったのか、女はその場で契約書に金額を書き込んだ。

怖いことをされる、と思っていたけれど、その事務所は想像よりずっとまともだった。ネットの広告に出ていたセクシー女優さんも、その会社から何枚かDVDを出していた。必ず避妊具を使用すること、男女ともにHIVなどの検査を事前に受けること、プライバシーは口外しないこと、台本通りであること、本人へ心身の影響を与える行為の一切を行わないこと、細かく規定があった。

パッケージに顔が分かるようにはしないこと、それが私の条件だった。大学にも友達にも家族にも、過去と未来の私に関わる全ての人にバレるわけにはいかない。ただ19万円を払って、マンションで家族と暮らし学校に通い、大人になりたい、それだけなのだ。ただ普通にしていたいだけ、だから私が今、状況にここで抵抗しなければならない、そう思った。

 

カップラーメンの匂いのするゲップが何度かして昼間の授業をこなし、5限後に帰宅した。マンションは今日も変わらずこのあたりで一番の高さで、壁であるはずの部分がガラスで、見上げると上層階のリビングにシャンデリアが小さく小さく見えた。夕暮れの薄いピンクが映りこんで綺麗だった。

玄関を開けると、ごはんの匂いがたちこめていて、母親と兄が座っていた。父親は残業をしているようだった。少し余裕ができたからか母親は髪を染めて少し若くなった。兄は変わらず、明日も面接があると言う、あるだけいいじゃない、と励ます母親が頼もしい。お肉はないけれど、野菜炒めが甘辛で美味しい。

部屋に戻り、メールを開くと、明後日のスケジュールが届いていた。台本は当日に渡されると書いてあったけれど、怖くないようにと少し流れを書いてくれていた。

13時渋谷駅集合、車でホテルまで移動、関係者紹介、501号室ランジェリー衣装合わせ、メイク・ヘアメイク、502号室カメラテスト、本番、とあった。私は明後日、恵令奈ちゃんと呼ばれるらしい。

DVDのタイトルは「○○女子大、19才のファーストインプレッション(仮)」と書かれていた。初めて感が欲しいから演技よりも体当たりで、泣きたくなったら泣いていいし、逃げたくなったら逃げようとしてくれたらそういう絵で撮るから大丈夫です、と何が大丈夫なのか分からない説明だったけれど、分かりました、と返事をした。

ちょっとコンビニ行ってくる、と言って部屋を出ると、背中から夜なんだから向いのコンビニだけにしなさいねと言われ、はーい、と返した。裸足のままスニーカーを履き、玄関の閉まる音を聞いた。

エレベーターに乗り込むと、怖い、あぁ怖いなぁ、大丈夫、出来る、大丈夫、と独り言を言いながら、大学の教室や友達や家族やこれからの未来のことを想像した。少し涙がでた。気合い入れに炭酸を買おうと決めてエレベーターを飛び出すと、若い男性にぶつかった。すみません、と謝って相手をちらっと見る。マンションの中でよく見る、若いのに成功している雰囲気を醸し出している人だった。お金あるんだろうなぁ、相談したらどうにかしてくれるんじゃないかなぁ、と一瞬思って、恥ずかしくなってすぐに背を向けた。

マンションの自動ドアを出ると、今度はゆっくりと帰ってきたスーツ姿の男性とすれ違った。すべてにおける余裕が、雰囲気からでていた。なんで同じところに住んでるのに、私はこんななんだろう、でも、こんな現実に抵抗して、必ず普通に卒業して普通に家族仲良く暮らすんだ、と鼻をすすった。しゅう、という鼻の音がコンクリートをすべるように響き、川と緑の匂いを含んだ夜風が私の中に入ってきた。