こんにちは。暮らしっく不動産の徳留です。

昔から歴史好きというのもあって、歴史上の有名人の逸話を見たり、地方に行くとなんとなく博物館に行ったりするのが好きです。最近、知ったところで言えば、新撰組の斎藤一が新撰組をやめた後に警察官になり、その後大学の守衛を務めたとか、上野に西郷隆盛の銅像を奥さんが見て、「うちの人は、こんな人ではなかった。」と言ったとか(顔が似てないという意味ではなく人前に出るときに着物一枚で出るような人ではなかった。という意味の説有り)

さて、そんなわけで、土地の歴史にも興味がありまして、google earthの古地図API(アプリのオプションのようなもの)を入れてみたわけです。

高田馬場の古地図

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copyrighted by the Regents of the University of California on behalf of the East Asian Library, 2002, all rights reserved

高田馬場近辺の1892年頃の古地図です。
Auther:Kanaza Ryota
short title:shinsen Tokyo zenzu
という日本人が書いたと思われる地図です。


1892年といえば明治25年。wikipediaによれば金さん銀さんが生まれて、芥川龍之介が生まれた年となっています。
アサヒビールが発売されたのもこの年だとか。
こうして見てみると、高田馬場という地名は一つも書いていませんね。
高田村とか戸塚村というふうになっています。
しかも競馬場、陸軍戸山学校というものもあります。

陸軍戸山学校というのをネットで調べてみますと、1873年から1945年まで存在した射撃、銃剣術、剣術などを教え教官育成と研究を行っていた学校ということでした。
今はこのようなものはないのですが、この跡地は何になっているのかと調べてみると現在の都立戸山公園になっていました。もちろん団地や住宅地もあります。ということは同じ時期に一勢に整地されて建築された可能性がある土地だということが推測できます。

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cgoogle

ピンクの部分が陸軍戸山学校。緑色の部分が競馬場となっていた部分と思われます。
競馬場になっていたところは現在の早稲田理工や保善高校、戸山公園西側のあたりになるようです。

競馬場のほうは戸山競馬場というところだったらしく、1879年から1884年まであった競馬場ということです。
古地図が1892年のものですから、その後数年間は競馬場としての形を残していたのかもしれません。

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copyrighted by the Regents of the University of California on behalf of the East Asian Library, 2002, all rights reserved

wikipediaによれば陸軍戸山学校の射撃場が戸山競馬の跡地にもあったという記述があったので、そういう地図なのかなと予測できたりします。

そしてもう一つわかること。
上記の地図からは1892年には線路も通っていたことがわかります。
高田馬場駅が開業したのが1910年なのでそれよりも前の話なので山手線ではないようです。
wikipediaによれば

現在の東北本線などを敷設した日本鉄道が、現在の東海道本線との連絡線として1885年(明治18年)に敷設した赤羽駅 - 新宿駅 - 品川駅の路線(品川線)が起源である。つまり、赤羽線は山手線の元の本線だった。

とあるので、今の埼京線の線路のようですね。(間違ってたらごめんなさい)

一枚の古地図から得られる情報ってたくさんあります。

戸山公園のもっと昔は?

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copyrighted by the Regents of the University of California on behalf of the East Asian Library, 2002, all rights reserved.

Auther:Nishimura,Soshichi; Nishimuraya,Yohachi
Date:1799
Short Title:Saihan shinkai on Edo ezu

1799年頃の古地図もgoogle earthにあったので戸山公園が1799年頃に何だったのかも知ることができます。
1799年といえば11代将軍 徳川家斉の時代。目立った政策はないのですが、男子26人・女子27人の子供を作った将軍と言われています。

その頃の高田馬場周辺の地図です。
今の戸山公園のあたりは尾張殿と書かれています。
ここはもともと、尾張徳川の下屋敷があったところのようです。

当地一帯は、江戸時代には尾張藩徳川家の下屋敷であった。2代藩主徳川光友により、回遊式庭園「戸山山荘」として整備され、敷地内には箱根山に見立てた築山の玉円峰(現在の箱根山)、東海道の小田原宿を模した建物など二十五景がしつらえられた。寛政年間には11代将軍徳川家斉の訪問を受けるなど、水戸藩徳川家の小石川上屋敷と並ぶ有数の大名庭園であった。この頃の戸山山荘を描いた谷文晁による絵巻が現存している。その後は数度の火災や水害により荒廃したが、尾張藩の財政難などもあり復興されなかった。

出典:wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E5%B1%B1%E5%85%AC%E5%9C%92)

そうか、あそこにあった箱根山はこの頃に原型がさかのぼるのか!となります。

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箱根山の頂上写真。

さいごに

こういう古地図は江戸城を中心として描かれたものが多数存在しますが、都心部から離れると資料があまりないのも事実です。
都心部にかぎっていえば、こうやってネットを活用して土地のなりたちを調べることもできます。
便利な時代ですね。自分の住んでいた土地にどのような歴史があるのかを調べてみるのも面白いかもしれません。

土地に歴史あり!

それでは!