こんにちは。暮らしっく不動産の徳留です。

急遽お台場でクリーニングの仕事が入りまして、今日は朝からお台場へ行っていました。

お台場でクリーニング

img_20160624172625b7c0b46d7b603174bfe73eb144d6ff529b03172b.jpg

こんな腰道具をフルセット持って行きクリーニングです。
一部壁紙を剥がす作業もあったので、僕が窓ガラスを掃除している間に一緒に行っていた門伝氏にお願いしたのですが、あきらかにつまらなさそう。

「おれ、こういう作業、むいてないな。。。。」

と、ボソッと言ったのを僕は聞き逃さなかったですよ(笑)

かなり景色のいいマンションで、お台場海浜公園や東京タワー、田町にあるNECのスーパータワーも一望できまして、あぁ、東京に住んでいるんだなぁと実感できる場所でした。
ぼくの人生には縁がないかもしれません。

さて、かなりひろーいお部屋だったので、久々に職人さんをやっていた時ばりにヘトヘトになって帰ってきたわけですが、事務所に帰ってくると嬉しい差し入れが届いていました。

山形のさくらんぼ佐藤錦

img_20160624173518e8ba0d3a0824c0ade7d7089b7f4c07226c1fa74a.jpg

先日、山形のお客様がご入居したのですが差し入れとしてお漬物をいただきました。
帰り際に「もう少ししたら佐藤錦のシーズンなので送りますね。」とおっしゃっていただいていたのですが、事務所に帰ると届いていました!
ありがとうございます。

粒が大きく果肉がたっぷり。しかもとーっても甘かったです。

img_20160624174056a49c707ad21c40ea6d781ae60af4fa9c4bbaf7f3.jpg

今日は暮らしっく不動産のスタッフは全員出勤日でしたので、スタッフで美味しくいただいております。かなりの高級品だと思われます。なんだかすいません。ありがとうございます。
もし女性アイドルに生まれ変われるなら、イチゴ大好き◯◯です。ではなく、さくらんぼ大好き◯◯です。と言いたいと思います(笑)

佐藤錦とは

img_2016062417221380ca746386147b9739d1405af7f86eab5f2a02a2.jpg

さくらんぼ『佐藤錦』を生んだ佐藤栄助翁という人は慶応3年(1867年)生まれなのだそうです。
1867年というのは坂本龍馬が暗殺された年でもあり、夏目漱石が誕生した年でもあります。

佐藤錦の故郷・東根市は、最上川の支流である乱川(みだれがわ)の扇状地に位置する。水はけが良過ぎて水田に向かず、昔から畑地として利用されていた。明治の初め、内務省が西洋果樹の苗木を配布。サクランボも含まれていたが、収穫期が梅雨と重なるせいで実が割れてしまう。その上日持ちもしないとあって、生産量は伸びなかった。

新しい品種を作れないかーーーそう考えたのが、佐藤栄助翁。事業に失敗したため、東根町(当時)の中心部から南方に移り住み、広大な松林を開墾する毎日だった。好奇心が旺盛なことに加え、果樹栽培が趣味だった彼は、果肉が固くて酸味のある「ナポレオン」と、甘いが保存の難しい「黄玉(きだま)」に着目。交配によりできた実を発芽させて苗木を作り、そのなかで良いものを移植して育成した。大正11(1922)年、初結実をみる。さらに選別を重ね、2年後、ついに最も優れた1本、すなわち原木の育成に成功。本格的に取り組んでから、15年余りの歳月が過ぎていた。


当初、新品種を「出羽錦」と名付けようとした栄助翁に対し、東作翁は「佐藤錦」としては、と提案。砂糖のように甘いと喜び合ったことに由来するそうだが、それだけでなく、栄助翁を兄と慕う東作翁の友情と敬意の表れでもあったのは間違いない。

東作翁の努力で普及が進み、佐藤錦はサクランボを代表する品種へと成長を遂げた。生みの親が栄助翁、育ての親が東作翁と言われる。初夏の食卓を華やかに彩る佐藤錦。先人らの情熱を映すかのようなルビー色の実を、今年も多くの人が楽しみに待つ。

(JR東日本『大人の休日倶楽部ジパング』2008年6月号より転載)

明治時代に政府から苗木が配られ、苦労の末、品種改良。
結果、佐藤のように甘かったことから佐藤錦となったと書かれています。

確かに佐藤のように甘く、ほのかに酸味があって美味しいです。プリップリです!

疲れていたところにとても素敵な果物が届きました。
美味しくいただきます。ありがとうございます!