2016/07/06

「偽りのハピネス」

暮 life
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「偽りのハピネス」

昨晩、いいな、という旦那のひとことを聞いて、そうね、と返事をできなかった。もっと言うと、子供3人でいいの? と聞かれた時にぞっとした。もうやめて、と思った。これ以上、自分の幸せに巻き込むのはやめて、とグラスを投げつけたくなった。

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昨日は、旦那が隣でシャンデリアを見上げながら何か言いたげにしているのを、気づかないふりをして、えみりをあやし続けた。でも、なんならあのままギャン泣きしてくれたら、それを理由に旦那と違う部屋で寝られたのに、と思う。昨日みたいなときに限って、えみりは泣き続けない。生まれたばかりで言葉も分からないのに、自分を養育してくれる父親と母親が別れないようにしているようにしか思えなかった。

ふぅ、と朝イチに恒例の溜め息をついて、一昨日青山のパン・ドゥ・ブルームで買っていたフランスパンを切って、生ハムとトマトとチーズをのせた。小皿に、エキストラバージンオリーブオイルを注いでテーブルに出す。

旦那には、紅茶を入れて、自分用にペリエを置いた。瓶のままのみたい、と思った。ヨーグルトあったでしょ、という旦那に、そうだっけ、ととぼけて返事をし、冷蔵庫をあけてヨーグルトを皿に盛った。真ん中からフルーツソースを適当にかけた。

「今日シッターさん何時に来るって?」

スプーンでヨーグルトをまぜながら旦那が言う。ヨーグルトの色が全部フルーツソース色に染まるまで混ぜ続ける。混ぜ過ぎだろ納豆かよ、と心の中で

思う。

「あと30分くらい」

「こどもたち起きないなぁ」

そう言って、旦那は気が済むまで混ぜきったヨーグルトをスプーンですくった。ぷるぷるのヨーグルトがドロドロになっている。

「そうだね。ねぇ今日さ、えみりは連れて行こうと思うんだけど」

「え、シッターさんいるんだから任せればいいじゃん」

「そうだけど、1人で男の子2人見るのも大変なのに、赤ちゃんなんて大変でしょ。それに私がえみりについてるほうが気持ち的に安心だし」

「そうか。分かった。なら午後も仕事やめようかな。会社はみんながまわしてくれるしさ、急な打ち合わせ入ったらスカイプでもいいわけだし」

「いいよいいよそこまでしてくれなくて。それこそせっかくシッターさん呼んだし。表参道散歩して美味しいものでも買えたら家まで送ってくれたら、すぐ行っていいよ」

「そうか。悪いな。じゃあそうしよう」

私は、ほっとする。旦那は午後まで休んで一体何をしようと言うんだろう、と思う。

「じゃあ週末は銀座でゆっくりしよう。昨日思ったんだけど、そろそろシャンデリア新しいのに変えようと思ってたから見に行こう」

そういう旦那に、いいね、と返事をしながら、息が詰まりそうになる。

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テーブルの上のペリエの瓶を振って振って振りまくって蓋をあけて、プシャーーーーっとまき散らしたら綺麗だろうと思う。こんな、高価な作り物のシャンデリアなんかよりずっと、みずみずしくてきらめくはずだ。

食べ終わった食器を食洗機に入れたところでチャイムが鳴った。ドアホンを見ると、シッターさんが見えた。自動ドアを開けて中に入ってもらう。私は玄関に向かって鍵を開ける。

ピンポンピンポンと言う音に食い気味で玄関を開ける。

セミロングの黒髪に9分丈パンツにシャツといういつもの格好だった。どうぞ、と招き入れると、慣れたようにシッターさんがスリッパに足を通した。

まだ3人とも寝てて、という旦那に、起きてママパパがいないとびっくりしちゃうのでお出かけの時に声をかけてあげてくださいね、と微笑む。私は、もう起こしちゃおうと子供部屋に入った。

やだやだやだやだ一緒に行くーと後ろを駆けてきた2人の子にお尻を押されるようにしてリビングに戻ると、旦那が近づいて、ママとパパとデートだから、と言った。えみりが泣き出し、すぐに抱き上げて、おむつと母乳と出掛ける準備をいっぺんにする。

シッターさんが付けてくれたテレビから戦隊もののアニメが流れて、2人の子が、わーとテレビの前に座った。シッターさんは、おでかけして大丈夫ですよ、と余裕の表情で声をかけてくれる。私はバタバタしながら、ありがとうございます、よろしくお願いします、と喜んで見せた。このシッターさんは腹の中では何を思っているんだろうと一瞬考えかけてやめた。平日に夫婦で表参道を散歩したいから大きい子のほうは面倒見ててくれなんて、どう思われるんだろう。

じゃあ、と言う旦那のタイミングで、えみりをドイツ製の抱っこ紐のなかにくるみ、えみり用のおむつ数枚、おしりふき、バスタオル、おくるみ、着替えを詰めたバッグを持った。

車だとすぐに着いてしまうけれど、窓の外をずっと眺めていたいと思う。信号待ちなどでママチャリが隣にとまって、うしろに小さい子が乗っていて、少しイライラしている母親の顔を見るとなぜか安心した。通り過ぎた公園では、サラリーマンがベンチに座って空を仰いでいた。

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なんだか全てが切り離された世界のように見えた。車の後部座席にいるからだろうか。えみりのために温度変化に気を遣って窓を開けないからだろうか。空気も街も、自分の目の前で遮断されているように感じる。

表参道ヒルズの駐車場に車を入れて、えみりと荷物を抱えて車を出た。旦那がえみりのおでかけグッズを持ってくれ、並んで歩いた。地上に出ると、やっと匂いのある空気を感じられた。

「こないだ清香が友達と来ておいしかったって言ってたのは、この上のカフェ?」

「うん、そうだけど」

「行ってみようよ。俺まだ行ってないし」

「あー、うん、いいよ」

たしかえみりを抱きながらでも十分にゆっくりできるソファ席があったはずだ、と思い出す。

まるで何度も来ているかのように、旦那は店員に、赤ちゃんいるから広めのところお願い、とさらっと言い、店員はかしこまりました、と奥のソファ席に案内してくれた。

この間友達と来た時に、ソファ席で上半身ゴロゴロさせながらしゃべれたらよかったねぇー、と言っていたのに、なんか今日はその気分になれないのが不思議だった。

旦那は、ブレンドコーヒーを頼み、私はオーガニックオレンジティーを頼んだ。ここいいなぁ、そういえばこの間さ、としゃべりはじめる旦那に、うんうん、と声だけ出して、目はえみりに向ける。寝てくれている、ちょっと暑そうだけど大丈夫そう、まつげが長い。そんなことを思った。

友達とここで話したのが自分の本心だったんだ、と改めて思わされた。

あの日、高校時代の友人は、幸せそうだね、と言ってくれた。私は、そうだねぇ、と何も考えないで答えていた。子供が3人いて、不自由なく過ごしている。それが幸せだと思っていた。いや、それは間違いなく、今も思っている。

もし旦那さんがマンション持ってなくても愛した? と友達が言った。どういうこと? と私は聞いた。友達は、SNSで私がタグ付けされているのが表示されていて、そこには旦那が、有名なお店やおしゃれな街や買ったもの食べたものばかり書かれている、と言った。

物質的なものが無くても今の旦那さん選んだ? と聞く友達に、私は、考えて、最低限に普通に生活できれば選んでるに決まってる、と答えた。友達は、そっか、ならよかった、と言ってタルトにフォークを突き立てた。それで、おいしー、と高校時代と変わらない顔で笑っていた。

そういうことだったのか、と自分のことに初めて気づいた。朝起きて、トーストかお茶漬けのような簡単な好物を食べ、なんだかんだ言いながらバイトだかパートだかの仕事を昼間して、休みの日には寝れるだけ寝て、近所の定食屋さんのようなところに子供を連れていってみたり、焼き鳥はケータリングじゃなくて煙だらけのところで食べたくて、夜はパジャマじゃなくてペラッペラの生地のTシャツで寝たい。

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シッターさんと言っても他人を部屋に上げるのは気が進まないし、たかが照明に10万以上も出す気がしない。表参道や銀座のお店だって、たまにだからいいのだ。コーヒーだってコンビニのでも十分美味しい。

ほんとは、と口にしそうになって、紅茶を口に運ぶ。ちょっとこぼれて、えみりに滴り落ちそうになってちょっと焦る。旦那は、夏休みにサイパンに行かないかと言い出している。えみりが大きくなって色々分かるようになってからにしよう、と微笑んで流す。

いつのまにか慣れてしまっていた。あの自分には高級すぎるはずのマンションの一室にいる間に、自分の心地よさを忘れてしまっていた。子供にはこの環境が一番、と過去に思った瞬間から、私は、水槽に連れてこられて泳がされている金魚のようだ。

冷たくて熱くて広い流れる川には戻れない。もはや3つの卵を抱えて水槽から出ようとしようものなら、卵もろとも床にたたきつけられ、ピチピチしている間にどんどん水分が奪われ息ができなくなり、死んでしまうにちがいなかった。

えみりが泣き出す。ぶー、と唇を歪ませて、口をばぁっと広げようとしている。大声がでるな、と思い、立ち上がった。俺やろうか、という旦那に、ちょっと外であやしてくる、と言うと、じゃあカフェの写真でもアップして待ってるよ、と言った。

店員さんに会釈をし、外につながる通路に出た。自動ドアが開き、車道の音が耳に入った。えみりは泣いている。なんで泣いているんだろう。おむつじゃないし、乳もまだだし、と思いながら、揺らし揺らし、少しずつ落ち着いてくるのを待った。

旦那は私じゃなくても変わらなかったんだろうと思った。相手が私でなくても、おしゃれな街に頻繁に行き、有名なレストランを行きつけにし、あのマンションに住み、シッターさんを雇い、ケータリングを頼むんだろう。変わっていくのは私が女だからだろうか。

えみりが、ふぅ、ふぅ、と落ち着きだし、私が頬を指の腹でぷにぷにすると、いつもみたいに、ふへへ、という表情になった。隣を通り過ぎる細身の男性がちらっとえみりを見て、微笑んだ。テレビで見た事のあるミュージシャンだった。

この子たちがいなかったら、私は旦那と長くはいられないだろう、と思う。どんなに綺麗で最新のマンションも、30年もすれば廃れる。そう思って深呼吸をすると、おしゃれな街の排気の匂いが、肺いっぱいに入った。自分のなかから生まれでたばかりの熱いものを胸に抱いて、私はヒルズに戻っていった。

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著者
柿沼まさみ
柿沼まさみ

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