2016/07/27

「今度はコーポ前」

暮 life
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『今度はコーポ前』

隆一がコーポの前で手を上げて呼んだ。私は、びっくりして駆け寄り、ちょっと、と、だて眼鏡を隆一の顔にかけた。

「なんだよ、今日荷物来るっていうからせっかく先に来て出迎えてやったのに」

隆一が怒った顔をわざと作って言った。

「なんだよじゃないよー、誰かに見られたらどうすんの」

「別に大丈夫っしょ。ただバンドのメンバーってだけで俺は敬太ほど顔売れてないし、明菜だって敬太ともう別れてるわけだし。まぁ美優さんとどうなってるかは分からないけど、美優さんとはもう番組で一緒になることもないだろうし」

「そういうことじゃなくってー」

「まぁまぁ、それより荷物は? 高級マンションにあったやつがこんな狭いところに収まんのか?」

隆一は、腰に手をあててコーポを見上げた。

「収まるんだよこれが。昨日段ボール10箱くらいにしかならなかったもん。そのまま置いとくにはちょうどいいくらいだと思うよ」

私が言うと、へーそんなもんか、と隆一がつまらなそうに言った。

「部屋1階?」

「うん、そう、一番奥。ほら、こういうところって階段歩くと音響くじゃん? だから荷物の出し入れしやすいほうがいいって、相談したら、一番奥だけど一部屋あるって言われて」

「へー。とりあえず荷物来るまで中入って待とう。暑すぎんだろ今日」

年々暑くなってるよね、と言いながら、私はバッグから部屋の鍵を出してコーポの敷地に入った。コンクリートの石垣も、簡単な郵便ポストも、シンプルに作られているのが一目で分かる玄関扉も、なんだか懐かしい気がした。

鍵を差し込んでまわすと簡単に開いた。玄関は狭く、靴をいくつか置いたら足の踏み場がなくなってしまいそうだ。

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隆一が先に入り、ポケットから財布とスマホを出して床に置いた。私と隆一は何もない床にぺたりと座った。

キッチンも簡素な造りだったが綺麗に掃除されていた。

「昨日、敬太に会えたの? 話せた?」

「うん、マンションにいたからちょっと話した。ずっと代理人さんに任せてたけど正解だったよ、なんだかしんみりしちゃう感じだったもん」

「何話したの?」

「気になるの?」

「気になるだろ。自分の付き合ってる女が自分の仕事仲間でもある旦那とやっと別れて初めて顔合わせたんだから」

「それはそうだけど。大した事話してないよ。私の荷物を引っ越し屋さんに渡してねって言ったくらい」

「キスでもした?」

「しないってば。でも、愛してたって、私のこと」

「へぇ」

隆一が少し声を低くして言う。こういうときは何か言いたいことがある時だと知っている。

「何か言いたいことがあるならどうぞ」

私が少し笑って言うと、隆一が、見透かされてる感じがしてイヤだな、と言いながら微笑んでくれた。

「今は俺が愛してるけどね、と思って」

私は、初めて知ったようなふうに、へーえ、と言ってみせた。

「私も今は隆一だけどね」

そう言うと、そうだろうそうだろう、と隆一が満足そうな顔をした。

「でもさっきみたいなのはダメでしょ。どこに週刊誌の人がいるか分からないし」

「そうかなぁ、どっちかっていうと、まだ付けられてるのは敬太のほうだけど」

「そうなの?」

「そう。こないだラジオの収録のときだっていたもん、駐車場に。そのあと違う仕事入ってたから俺たちもいたけど、失礼な話でさ、敬太しか見てないわけよみんな。俺とか他のメンバーやマネージャーが一緒にいても、あいつらには敬太しか見えてないわけ。いんだかわるんだか」

ふぅん、と返事をして天井を見ると、低いなと思う。すぐに暑いなと感じて立ち上がってエアコンのリモコンの電源をオンにした。

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「だとしてもダメだからね、目立つことしたら。敬太の元嫁とメンバーが実は付き合ってましたなんて火に油だわー」

「にわとり状態だな」

隆一がそう言うのが意味が分からなくて、は? という顔をして見た。

「だからさ、どっちが先かって問題。卵かニワトリかどっちが先かって言うじゃん? 敬太と女優、俺と明菜のどっちが先かって問題」

「それは敬太でしょう?」

「どうかなぁ。敬太が美優さんと付き合いはじめたのをリークしたのは俺だけど、明菜とごはん食べに行くようになったのも同じくらいだろ?」

「そっかぁ、それは、どうしようかね」

私が眉間にシワを寄せて考えると、隆一は笑って、どうすることもないっしょ、と子供みたいに言った。

「敬太が美優さんと付き合ってました、で、それに気づいたから明菜がメンバーである俺に真相を相談しました、で、結局敬太と別れてどうしようか落ち込んでいるときに俺が支えました、でいいんじゃない」

「なにその自分が一番頼れる! みたいなまとめ方、まぁ理にかなってるけど」

私が言うと、だろだろーん、と得意気な表情をしてみせた。仕事では全く目立たないしゃべらないキャラなのに、こんな表情するんだよなぁ、と嬉しくなってくる。恋の中にいるんだなぁ、としみじみ思う。

「とりあえず俺の家に明菜がいてくれればいいよ」

隆一はまじめな顔でそう言うと、財布を開けて鍵を出した。隆一の家の鍵だというのがすぐに分かった。

「今の家片付けてもいいけど、長い目で見て一緒に住めるところ探してさ、ここに届く荷物も早めに運び出せるようにしよう」

私は、うん、と言って鍵を受け取った。ありがと、と言うと、なんのなんの、と言って、隆一が床に寝転んだ。

隆一は少しして、すぴすぴと寝息を立てた。昨日も収録があったはずで疲れているのが分かった。

やっと落ち着いてきたなぁ、と思った。自分の人生が落ち着くはずの時に急に乱されて、ずっと住むはずだった家も出てきてしまった。隆一は小さく口を開けている。前髪が横に流れて、薄いけど爽やかさが残っている。

一時的だったらどうしよう、と不安になる。この部屋のように、荷物の一時置き場所、じゃないけれど、今感じられる安心が一時的なものだったらどうしよう、と思った。人は間違うし、それは間違いだと多くの人がしかも見も知りもしない人が言う、でも、間違いじゃないかもしれない、と思った。敬太に、言ってあげればよかった、間違いじゃないよ、って。またはじめようと思えば、それは新しいはじまりなんだよ、って。

ぼんやりと思っていると、スマホが鳴って、バッグから床に、ウオーンウオーンと響いた。隆一が、なんだぁ、ともぞもぞと体を起こした。

「荷物、コーポの前に来るって」

よしっ、と隆一が立ち上がった。私は、おねがいします、と電話口で言い、通話を切った。

「さっき言ったじゃん、そんなに表に出ていかなくてもいいんだってば」

「いいのいいの、俺がやりたいんだから。普段から機材運んでるから大丈夫」

「そういうことじゃなくって」

何も気にしないで私のために何かしようとしてくれる隆一におかしくなって、隆一の背中を、じゃあ任せた、とポンと叩いた。

玄関を出ると、もわっとした昼下がりの空気が肌にまとわりつき、すぐに汗が滲んできそうだった。

隆一とコーポの手前に立って運送業者を待っていると、女子大生らしき子がコーポに入っていくのが見えた。落ち着いていて大人っぽいけれど、まだ若いからこれからいくらでもはじめてのことがあるんだろうなぁ、なんておばさんじみたことを思った。

暑い陽射しの中に運送御者の車が見え、私よりも先に、隆一が手を上げた。

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著者
柿沼まさみ
柿沼まさみ

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