2016/11/09

『コンシェルジュ』

暮 life
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『コンシェルジュ』

「珍しいね、女性で、まだ20代でしょ? なんでこのうちに転職しようと思ったの? それにうち正社員じゃないけど大丈夫?」

中間管理職くらいだろうか、黒ぶちの眼鏡をかけた男が頬をぼりぼり掻きながら言う。

「そうですね、今までも契約だったりでやってきているのと、そんなに社員にこだわりがないので大丈夫です。今回御社を受けたいと思ったのは、自宅の近くのマンションや会社など、とても綺麗に整備されていて、たまに清掃をしている方の姿も見かけましたし、好んでやる人は少ないかもしれないけれど重要なお仕事だなと日頃から感じていたので、私自身も役に立てるように働きたいと考えたからです」

私は、スーツに着られないように、新卒で失敗していると思われないように、あえてベージュのジャケットにタイトスカートというシンプルな格好で面接に来たが、思ったよりも会話がスムーズで、思ってもないことをずっと思っていたことのようにちゃんと話せている。

「あぁ、ご自宅が近いんですね、アパート暮らしね」

コーポです、と訂正しかけて、口に出さずに笑みだけ向けた。

「ちょうどお住まいの地域の物件だと、ご自宅の向いのマンションと近隣のビル2棟を管理していますから、もし採用になった場合にはどこかの清掃業務に携わってもらうことになりますが、問題ありませんか」

はい、と笑みを崩さずに答えた。そのつもりでここに来たのだ、むしろそれ以外の場所であれば採用になってもなんの意味もない。

「あ、そうそう、実は、マンションの住人たちからの要望があって、防犯のためにもコンシェルジュをつけてほしいというのがありましてね、ちょっとした工事をしてコンシェルジュの募集もする予定なんです。あなた、ちょうど年齢的には、合いそうかなと今思ったのですが、清掃業務とは研修内容も違うし、覚えることや責任も大きくなりますが、そうなった場合どうされますか?」

黒ぶちの隣のテロシャツの男が言う。サイズの合っていないシャツを来て、めんどくさそうに面接をしてくれている。

「はい、そうなった場合にも問題ありません。秘書検定も持っておりますし、少し英語が苦手ではありますが、一生懸命働きたいと思います。コンシェルジュ業務であれば直接的に住人の方のお役にも立てるのでぜひお願いしたいです」

あぁ、そう、それはよかった、などと軽い感じで男二人が言う。二人に促されるように面接が終了し、私は足元に置いたバッグを腕にかけて、ドアを開け、礼をして部屋を出た。

佑司と満里奈の住むマンションの管理会社のホームページから奇跡的に見つけた求人だった。マンション管理や所有ビルでの清掃業務の部門で契約の求人が出ていた。

あの夜、何年かぶりに見た佑司のびっくりした顔がかわいくて今も思い出して笑いそうになってしまう。マンションの自動ドアを背にして立つ私に、佑司は何十秒も黙ったまま状況を飲み込もうとしているようだった。どうして私がここにいるのか、なにをしているのか、聞きたくても何と言っていいのか分からないと顔に書いてあって思わず噴き出しそうになったのだ。

私が、友達がこのマンションに住んでて遊びに来たんだけどスマホを忘れてきちゃったから取りに戻ったの、というと、佑司は、へぇ、あ、そ、そうなんだ、と、安いおもちゃみたいに首を縦に振るようにして何度も頷いた。

佑司に、もしかしてここに住んでるの? 一人でこんなところに住めるなんて出世したんだねぇ〜、とからかうように言うと、まぁうん、ははは、と歪んだ笑顔をしていた。一人で、と言う言葉に否定をしない佑司に、満里奈と住んでるくせにね、と心の中で言った。

すっごい偶然だねびっくりした今度ごはんでも行こうよ、と言う私に、あぁ、うん、そうだね、と佑司が曖昧に頷いた。私は、友達待たせてるしまたねー、と何も気にしていないふうに佑司に手を振って、マンションの中に初めて入った。

佑司は、あぁ、うん、と手を振り返すことはなく外へ出て行った。私は、用もないのに適当にエレベーターの階数ボタンを押して待った。ちらちらと外に視線をやると、佑司が何度かこちらをふり返るのが見えた。私は気がつかない振りをしてエレベーターに乗り込み、適当な階で降りてそのまままた乗り込み、マンションを出て早足でコーポに戻った。

コーポの玄関の鍵を閉めてやっと呼吸ができた気がした。息を吐ききるのと同時に、おかしくておかしくてたまらなくなった。あの佑司の驚いた顔! きょどった声! 私がマンションに入って行くのが気になってしかたないあのふり返り方! ノリで一緒に写メでも撮っておくんだった! と、その日のドキドキは心を踊らせるのに十分だった。

それから数日後に、コーポの管理人の中山さんから書面と訪問で、コーポの取り壊しを聞かされた。は? と思った。高齢で気もまわらないからという理由なら十分快適に過ごさせてもらっているので大丈夫ですよ、と何度も訴えたが、息子夫婦に譲り受けるのに古いコーポのままだと不都合なんだとゆっくりとした口調で諭された。また建て直したら今とあまり変わらないくらいの家賃で入居の検討もしている、と言っていた。

それでは困るのだ。佑司と満里奈の生活が見えないなら一人暮らしをする意味もなかった。新しいコーポ、いや、今度はアパートか何かができるまで2年待つとしてもその2年の間に二人の変化を見届けられないのは困るのだ。

私は仕方なく中山さんの話を受け入れるかしなかった。まだ出て行くまでに日にちがあるのが幸いで、その間に近くの物件を探していて、その最中にこの採用試験を見つけた。

清掃業務をしている人が誰かなんて誰も気にしないだろう。佑司と満里奈にも彼らのマンションで清掃をしたところで気がつかないだろうと思いついた。最悪あのマンションでなくても近くのビルで働ければ、二人の生活の近くにいられることになる。収入が増えれば、佑司と満里奈の部屋が見える物件にもまた引っ越せるかもしれない。それだけの理由だ。純粋に見ず知らずの誰かのために転職するわけがない。

コーポに戻り、最近使いはじめた双眼鏡で、マンションのバルコニーを覗いた。まだ二人とも帰ってきていない。初めて見るワンピースが干してあり、満里奈が新しく買ったものだと分かる。胸から下のデザインが手すりに隠れてしまって見えないが、あの長さで干せるということは丈が短めなんだろうと分かる。長めボトムが今風なのに、相変わらずかわいこぶってダサいなと思う。

佑司が帰ってくるまではまだ時間があるので満里奈のSNSを見てみる。昼に食べたランチのパスタの写真と、1時間前におやつのお菓子の画像が表示された。今夜は旦那の好きなビーフカレーにしようかな、と書き込まれていて、佑司の好きなカレーはビーフじゃなくてポークだよね、とリプをしたくなった。書き込む代わりに先週の、頼んでもいないのに換気扇の修理が来て依頼しといて自宅にいないとか言われてマジおこだよ、という書き込みを見返した。おっかしー、と思う。あたりまえじゃん私が呼んだのに、とまたリプをしたくなる手を止めた。

急にスマホの画面が着信に代わり、知らない番号だが面接の結果だろうと直感して、鼻から息を吐いて電話に出た。本日はありがとうございました、という定型の挨拶とともに、採用の返事をもらった。

マンションの準備が出来次第コンシェルジュ業務をお願いすることになると言う声に、喜んでー! と叫びたい気持ちがした。私は、落ち着いた声を心がけてお礼を言い、研修のスケジュールなどをメールで受け取ることを承諾した。

通話終了を知らせるツーツーツーという音が、私のスタートダッシュを促しているように聞こえる。佑司と別れる前に佑司の電話からも何度も聞かされていたこの忌むべき音が、今は私の背中を押してくれている。満里奈ではなく、私が応援されているんだ、と確かに分かる。

私は、まだ住人の戻ってこないマンションのバルコニーを双眼鏡越しに見つめながら、あのマンションのエントランスを毎日くぐる自分を想像した。今よりも髪を切って、伊達眼鏡をするのもいい。コンシェルジュらしい制服で仕事をすればすぐに私だなんて気がつかないだろう。佑司と満里奈と同じ建物内で、彼らの郵便物を預かったり、別々に帰宅してくる二人に毎朝毎晩、いってらっしゃいませ、おかえりなさいませ、と声をかける自分を想像しただけで、笑みがこぼれた。

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著者
柿沼まさみ
柿沼まさみ

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