「手の中の本音」

キッチンの排水溝のゴムの側面についた、白いヌメリをスポンジで洗ってから、美香子に、宏樹君の家に泊まっちゃいなよー、とトークに書き込んだ。

煽り過ぎ、と書きながら笑っている絵里葉の顔が浮かんだ。
私にだけ彼氏がいるのもなんとなく申し訳ないような気がしていて、絵里葉は全く気にしていないようだけど、美香子は結婚願望が強いから、今回は合コンをセッティングしてよかったと思った。

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美香子が宏樹くんと付き合うと言ってから、私も自分の話を心置きなくすることができて、SNSにも彼氏が映り込まないようにとか、美香子が行きたがっているところにデートで行っても気にせず話せるようになったから私も楽になった。

ただひとつ気になるのは、美香子の相手の宏樹くんだった。
合コンの人数合わせで来ましたというガツガツしていない表情を始終していて、そこが美香子にはハマったのは分かるけれど、優しそうに見えるけど本当は冷たいんじゃないか、という気がしている。

あの日、他の男の子たちの勢いに押されて疲れてきていた美香子に、宏樹くんが声をかけ、飲み物を頼んでくれていた。なかなか店員さんが来ないので、わざわざ厨房の近くまで行ってくれたところが丁寧でいい人なんだな、と感じた。

けれど、私がトイレに立ったときに、宏樹くんはずっと個室の外でスマホをいじっていた。
宏樹くんは全くこっちを見ていなかったので、私もすっと横を通ったけれど、その時に見えたのは、女性のSNSだった。

ゆっくりスクロールして、書かれていることをひとつひとつ大事そうに読んでいた。
何人かで映っている女性の写真をタップして、わざわざ拡大して見つめていた。

その姿を私は後ろから見ていて、美香子に話すべきがどうか迷った。そして迷ったまま今に至る。
でも、なんだかうまく行っているみたいだし、もういいか、という気もしている。

いや、正直に言うと、早く宏樹君の家に行って宏樹くんとの相性を美香子には確認してほしかったし、うわべだけじゃなくて体の関係のあともやっていけるのか確認してほしかったし、結婚に向けて進むなら進んでほしいし、子供でも生むなら早くそうしてほしい。
そして、いかに宏樹くんと美香子が合わないか、という愚痴を死ぬほど聞きたい。

宏樹くんがずっと気になっている女がいるなら、美香子がその存在に気づいて大げんかをしてほしいし、ただ条件が合ったから結婚したということでいてほしいし、子供ができたらより噛み合わなくなって離婚を考えたい、というところまで聞きたい。

友達の恋愛結婚の幸せじゃないほうの話を死ぬほど聞きたい。
それで私は、あぁそこまでじゃないから幸せだわ、と思いたい。
私にはまだ選択できる未来があるわ、と思いたい。

スポンジをギュッと絞って、ヌメリの取れたゴムを戻そうとすると、トラップの隙間にトマトの皮や米粒がまだこびりついているのが見えた。ここまで今掃除するかどうするか迷う。

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性格が悪い、と言われるだろうか。
じゃあ、女の子が写メを撮ったときに何枚も撮ったはずなのに自分の盛れている写メだけ残して送ってくることとか、レジデンスマンションに住む子供たちのスクールバスを待っているときに、バスを見送るだけなのにブランドバッグを提げたり、なんてことないムートンブーツがすごく高いものだったり、それを見つけ合いながら褒め合うのだったり、会社の昼休みにランチをしていて、誰かが席を立つと、誰かが席を立った人の名前を出してあの人ちょっと苦手なんですよねぇと交互に言い出すのは性格が悪くないんだろうか。

高給取りの男と結婚して何不自由なく4人も子供を生んだ子が、女子会でシングルマザーの子を見つけては、大変そうだよねぇ何かあったら言ってねぇなんでもするから、と哀れみと余裕の表情で言う気遣いは本物なのだろうか。女って、そんなものでしょ。物心ついたときから、そんなものでしょう?

−とりあえず新宿行ってくるー。こないだみんなに行ってみたいって言ってたパスタ屋さん行くことにしたよ。

ポロリン、と手の中のスマホが鳴り、美香子のトークに、私と絵里葉は、がんば! とスタンプを送信した。

うまくいけばいい、と思いながら、うまくいかなければいい、と思う自分をとても不憫に思う。
人の幸せを、それも友達の幸せを心から願えない自分をとても哀れに思う。

せめて綺麗にできることろは綺麗にと思い直し、トラップの米粒を爪でつっつくようにして落とし、何日か前のトマトの皮をつまんでゴミ箱に放った。
プラスチックのトラップには、排水溝に沿って黒い汚れがはり付いている。

食器用洗剤で綺麗に落ちる。スポンジでなでるだけで汚れはつるりと落ちていく。水で勢い良く汚れを流しながら、でもあと1週間もしたらまた黒く白くヌメるんだろうと気づく。
私みたいだな、と思う。
汚れに気づいて何度も何度も綺麗な言葉や優しさで洗っても、またすぐ汚れる。
私みたいだなぁ、と思いながら、そっとトラップを排水溝に戻した。

拭いた手でスマホを持ち直し、グループトークに、また来週にでも会おうよ、と書き込んでみる。
きっと会ってくれるだろう。
絵里葉も美香子も私とは違う。
違うからずっと羨ましい。

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頼りになるような、サバサバしているような女ではなく、今度会ったときはもうちょっと、私の中のことを話してみたい、そう思った。