「ファン」

−はじめてのお正月だったからだよ!宏樹くんも緊張してたよきっと、またうまくいくって☆ 

年末年始は宏樹くんと過ごしていたけれどなんだか疲れたとトークに書いた美香子に、返事をすると、すぐ下に、翠が、とりあえず宏樹くんと初詣行きなよ! と書き込んでいた。

−翠また煽ってる(笑)

そう返事をすると、美香子と翠から、流行のウサギが照れているスタンプが並んだ。

なかなか減らないお雑煮の汁に白味噌を新たに入れてみたところだった。

煮込みながら、エアコンをつけている室内の空気とキッチンからの蒸気で、もやもやと家のなかが停留していくように感じた。

コンロの真上の換気扇をつけると、ゴオオオオオと重い音をたてて、鍋からの湯気を早速吸い込みはじめた。

クリスマスが失敗に終わったらしい美香子は、お正月は宏樹くんの部屋でどうしていたんだろうか。

男の人の部屋に行くのってどういう緊張なんだろう。

ストッキングが電線していないかとか、パンプスのヒールの高さとか、スカートが膝上か膝下かとか、ニットの襟は開いていたほうがいいのかタートルでもいいのか、指輪はつけて会ってもいいのか、ピアスは品良く一粒ダイヤがいいのか、髪型はアップにしたほうがいいのかハーフのほうがいいのか、持ち物は、着替えを持って行っているの、メイク落としはコンビニでなるべく肌に優しそうなものを買ったのか、お風呂はどのタイミングで入るのか、シャワーだけなのか髪はちゃんと洗うのか、バスタオル一枚で出ていくのか、美香子は一体どうしたんだろう。

宏樹くんと美香子が出会った日は、翠と美香子に誘われて行った初めての合コンで、私はすっかり疲れてしまっていた。自己紹介のときに自分のことをどう言ったらいいのかというだけで緊張したのに、お酒を飲んで時間がたつと男の人たちのテンションが変わっていくのがとても面倒に感じた。

たいして話しもしていない人から、絵里葉、と呼び捨てに呼ばれるのも違和感があったし、そのうちに酔っぱらった一人が、絵里葉ってかわいい名前だよねぇーって言っておきながら、絵里だけでよくない? どっから持ってきたの葉って? と絡んでくるのも正直苛立った。

なんだから分からないうちに始めたゲームも何が楽しいのか分からなかったし、終わりかけのときには当たり前のようにSNSのIDを交換しようとするのも嫌だった。

みんなは一体どうやって好きな人を見つけて、付き合って、結ばれていくんだろう。

そんなこと言うとおとぎ話のような考え方だけれど、二十歳そこそこのまわりの恋愛を見ていると、まわりにカップルが出来てるし、クリスマスや年越しや誕生日に一人でいることが恥ずかしくて寂しいみたいな雰囲気に負けて、付き合ってはみたものの半年したら別れてた、みたいなことが多かった。

そんな恋愛の何がいいんだろう、でもそういうのが恋愛なのかな、と三十歳を目前にしてはじめて思いはじめている。

私は、これまで誰とも付き合ったことがない。

見た目が変なわけじゃない。

ファッション誌は毎月チェックするし、コンサバでもフワフワ系でもなく、大人かわいいOLさんらしい服を来て、メイクも新しいものは試して似合うのを探すし、ネイルも季節に合わせてサロンでやってもらっている。だから誰も、私がまだ誰とも付き合ったことがなくて、人を好きになる、というのが分からないなんて思ってもないんだろう、と思う。

人を好きになるってなんだろう。

本当に好きだ好きだ言っておいて、別れていくのはなんだろう。

すごく好きでもないのに部屋に行って泊まろうか迷っていた美香子ってなんだろう。

友達の恋愛を自分のことのように楽しんでアドバイスして、彼氏がいるのにあまり彼氏との話をしないで合コンを開く翠ってなんだろう。

私には、彼女たちの感覚が全く分からない。

今度二人に会ったら、私にはなんの経験もないの、と言ってみたらなんて思うだろう。

クリスマスも誕生日も、最近の年越しだってずっと一人で過ごしてきたと言ったら、私は誰ともキスしたことないの、と言ったら、どんな顔をするだろう。

こんなところで一人で白味噌を煮込んでいる場合ではないことは分かっているんだけど、好きとか愛してるとか、そういう気持ちが湧いて来ない私に私自身ができることは、毎日、私もみんなと同じですよというふうに働いて、おいしい夕食を作って食べるくらいしかできない。

私は換気扇のようだ、と思う。

誰かの恋や愛の蒸気を吸い込んで包まれたような気になって、分かってるよなんていうふうに若い頃を過ごして、時間がたってみたら、煤や焦げばかりが残っている。

全然関係ないのに年始に急にでてくる芸能人の恋愛ニュースをクリックして心の中で、ちっ、と思っている。私は、普通の男女関係というもののも濃いも薄いも、ほんとうの熱さも、冷めていく感覚も知らない。

これを世間は寂しいと言うのだろうか。

換気扇の見えないファンが空気を吸い込んで吸い込んで吐き出し方を知らないまま壊れていくんじゃないか、そう思って眺めていると、鍋からグツグツとした音がわき上がってきて、私はすぐに火を止めた。