こんにちは。暮らしっく不動産の徳留です。

昨日はお客様の内見で御徒町駅を利用しました。
御徒町といえばアメ横が有名ですが、反対側の出口は宝石店が多いのはご存知でしょうか?

宝石展の激戦区なんですね。

写真奥にごちゃっとあるカラフルな看板はみな宝石店だと思っていただいてけっこうです。
それぐらいあります。

なんでかな?と思うのですが、調べてみました。


御徒町は修理加工の街

ネットからの情報を総合して要約しますと、

  1. 御徒町付近は数え切れないほどの寺社があった。(上野、浅草にも近いので)
  2. そのため、仏具、銀器の飾り職人もまた多く集まってきた。
  3. 明治の中頃になると指輪を製作・加工する業者も増えた。
  4. 第二次大戦後には、米軍の兵士が上野で時計やアクセサリーなどを売買(今のアメ横)
  5. 職人たちが時計やアクセサリーの修理や加工を行いその品がアメ横で売られるという構図。

ということのようです。
参考サイト:http://jto-net.com/about/page_04.php

インド人も多い

そしてあまり知られていませんが、インド人が多い街でもあるのです。
wikipediaにも記述があります。

駅周辺には宝石・貴金属店が多く見られるが、1955年(昭和30年)頃まではむしろ東上野一丁目に多く集まっていた。当駅前は戦災で焼けて空き地が多く、上野駅にも近いという立地を活かして、同年11月21日に時計関係の問屋有志12社で「仲御徒町問屋連盟」が結成された。1975年(昭和50年)以降、クオーツ時計が広まるにつれ、駅の南側近辺において時計バンド卸商や時計の修理店がそれまで副業的に取り扱っていたジュエリーに業種転換を図るようになる。宝石の消費の増大と、それに対応する供給サイドの増大がうまくかみ合って、業者数も増えていった。

街作りと共同セールの開催を目的として、1987年(昭和62年)9月、上野五丁目と三丁目のジュエリー業者159社が集まって「ジュエリータウンおかちまち」(略称・JTO)が設立された。1989年(平成元年)頃には御徒町地区だけで1,000社以上もあると言われていたが、過当競争と景気低迷で数が次第に減り、2000年代に入ってからは半分程度になったと言われ、インド人業者の進出がめざましい。

時計といえばスイスですがその技術が国外に転用されるのを禁止していた事情があったようで、インドの殖産工業としての時計の技術を日本に援助を求めていたようなのです。
時計も宝飾品の一つでもありますし、時計よりも宝石のほうが売れるという事で徐々に業者も鞍替え。
その名残でインド人が多いそうです。インド人の中でもジャイナ教の人が多いらしいのですが、ジャイナ教の教えは、「うそをついてはいけないから約束は徹底して守る」。だそうで、高価な宝石を売るには絶対的な信用が必要ですから向いていたんですね。

参考:http://www.cgl.co.jp/latest_jewel/gemmy/149/70.html

というわけで、昨日は発見できませんでしたがインド料理屋さんも多いようです。

さいごに

人がいるところには必ず歴史があります。
まちづくりにも理由と歴史があります。
少し調べてみると面白いですよ。
それでは!!